「 京都 桜 洛中 千本釈迦堂 2019 」
七本松通今出川上ルにあります。
阿亀(おかめ)桜
千本釈迦 堂阿亀桜 2019 4月2日撮影
千本釈迦堂の象徴的存在が「阿亀桜」
他に桜がないのでひときわ目立つ存在です。
お亀
阿亀像
阿亀桜の名前の所以となったのが「阿亀(おかめ)」です。
実在の人物で、夫で棟梁の長井飛騨守高次が千本釈迦堂建立の責任者に選出。
しかし、ある時、高次は、信徒寄進の大事な4本の柱の1本を寸法より短く切ってしまいました。
事の重大さに思い悩み、落ち込んでいる夫を見かねた妻の阿亀がアドバイスをします。
「 他の3本も同じように短く切って、切ったその上に桝組を載せればよいのでは。 」という目から鱗のアドバイスを。
何とか難局を乗り越え、千本釈迦堂は無事に完成しました。
ただし、素人の自分のアドバイスで、総棟梁の高次が仕事をこなしたということが世間に知れ渡ることを危惧し、完成前に、「 この身は夫の名声のために捧げましょう。 」との決心。阿亀は自刃してしまいました。
高次は上棟の日に、亡き妻のお面を 御幣に飾り、お堂の完成を祝うと共に、妻の冥福を祈りました。
この話を伝え聞いた人々が、菩提を弔うために、境内に宝筐院塔を建て、これが「 おかめ塚 」と呼ばれるようになりました。
主に京都では上棟御幣におかめのお面がつけられています。
これは、 阿亀の徳にあやかり、”火災除け” と “家内安全と繁栄” を願って始められたものです。
戦禍を免れた千本釈迦堂
本堂は鎌倉時代創建で、京都では殆どの神社仏閣が被害を被った応仁の乱でも、西軍の勢力内にありながらも、焼け落ちることはありませんでした。
これは奇跡的なことです。
実は、千本釈迦堂は、西軍総大将山名宗全の父親の「 氏清 」を供養するお堂があるお寺だったから。
山名宗全は東軍の細川勝元にも「 千本釈迦堂 」だけは戦禍に巻き込まないでほしい。とお願いしたそうです。
そんな都合の良い願いが通ったのかどうかは疑問ですが、千本釈迦堂の本堂は実際に戦禍を免れました。
千本釈迦堂について
正式には、瑞応山という大報恩寺といいます。千本釈迦堂の名前で親しまれています。
承久三年( 1221 )、藤原秀衡( ひでひら )の孫の義空( ぎくう )上人が、この地に小堂を建てたのが始まりといわれています。
応仁の乱の戦禍も免れた本堂( 釈迦堂 )は、京都市に現存する最古の仏堂遺構で、国宝に指定されています。
毎年、二月には、 おかめ福節分会、七月には、 陶器供養、八月には、 六道まいり、十二月には、 大根炊きと、多彩な行事が営まれ、多くの人で賑わいます。
まとめ
「阿亀桜」は、千本釈迦堂のシンボル的存在。
ただ、少し気になったのは、ご近所さんの会話の一部。
「ここ数年は元気がないなー。」
昔から見ている人にはわかるよう。
そういえば、去年より幾分、花つきが悪いように思えます。
手入れはされていると思いますが、これからも元気で咲いてほしいですね。
京都 神社仏閣 関連リンク
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京都 桜スポット
所在地 | 京都府 京都市 上京区 七本松通 今出川上ル 上ル 下ル 西入 東入について |
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電話 | 075 - 461 - 5973 千本釈迦堂ホームページ |
※ 拝観時間 ・ 拝観料等は変更されることがありますので, 寺院にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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