「 上品蓮台寺 」
上品蓮台寺 ( じょうぼんれんだいじ )は船岡山の西、 千本鞍馬口の少し北に位置しています。
桜の名所
門をくぐると、 すぐに枝垂れ桜が迎えてくれます。
こじんまりとした境内には、 種類の違う桜が咲いています。
有名な桜スポットですが、 京都市内中心部から離れているため、 観光客もそれほど多くなく、 オススメの桜スポット。
仏師 定朝 ( じょうちょう )
平安時代の後期に活躍した※ 仏師 ・ 定朝の墓があります。
定朝が活躍したのは、 寛仁四年( 1020 )頃から天喜五年( 1057 )までの約40年間。
※ 仏像を専門に造る彫刻家のこと
永承三年( 1048 )には、 奈良の興福寺の修復時に仏像を造ったことにより高僧にまで昇進しました。 定朝が初めて高僧まで昇進したことで、 仏師の社会的地位や名誉が公認されるという、 革新的な役割を果たしました。
定朝は、 名前を「 康城 」と改めたのち十二坊あった塔頭のひとつ「 照明院 」を建立し、 宇治の平等院の阿弥陀如来像を完成した四年後の天喜五年( 1057 )十一月一日に京都で亡くなり、 遺体は上品蓮台寺に埋葬されました。
蓮台野( れんだいの )
上品蓮台寺から東を望む。 住宅の間に見えているのが船岡山。
船岡山の西、 上品蓮台寺のある京都市北区紫野辺りは、 平安時代には、「 蓮台野 」と呼ばれていました。 平安京の東の風葬地が鳥部野 で、 西にあった風葬地が「 蓮台野 」。
平安時代の人々は、 ※ 風葬が一般的だったそうです。
※ 死体を地中に埋めずに地上に置いて、 風化させる葬り方。
そして上品蓮台寺の面している千本通は、その蓮台野へ死者を送るために、あるものを千本立てて供養したことから、「 千本通 」と呼ばれるようになりました。
上品蓮台寺について
古くは聖徳太子の創建と伝えられ、 当時は香隆寺といっていましたが、 天徳四年( 960 )に、 宇多法皇の祈願により、 寛空( かんくう )僧正が再建し、 寺号を上品蓮台寺と改めたといわれています。
当時は、 広大な寺域を誇っていましたが、 応仁の乱によって焼失しました。
文禄年間( 1592 ~ 96 )に、性盛上人が復興し、 この付近の蓮台野一帯に、 十二の子院を建立したことから「 十二坊 」の名で知られるようになりました。
現在も「 十二坊 」という町名が残っています。
本堂には、 村上天皇直筆の書で記された上品蓮台寺の額が掲げられ、 その内部には本尊の延命地蔵菩薩を祀っています。
境内は自由に入られますが、 拝観はしていません。
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所在地 | 京都府 京都市 北区紫野十二坊町33−1 上ル 下ル 西入 東入について |
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電話 | 075 - 461 - 2239 |
※ 拝観時間 ・ 拝観料等は変更されることがありますので, 寺院にご確認ください。 万が一, 間違っていたとしても, 責任は負いかねます。 予めご了承ください。
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