祇園祭 函谷鉾 (かんこほこ)
「 祇園祭 函谷鉾 」
四条通烏丸西入ルに建てられます。
くじ取らず
山鉾の巡航の順番は、 くじ引きで決定。
但し、 函谷鉾はくじ引きをせずに前もって巡航順番が決まっています。
7月17日( 前祭 )の山鉾巡行では、 長刀鉾に次いで二番目に巡行する鉾。
※ 全体の順番では5番目
函谷鉾 の由来
鉾の名前は中国の戦国時代、 斉( せい )の国の孟嘗君( もうしょうくん )が鶏の鳴きまねで 「 函谷関 」を脱出できたという故事にちなんで名づけられました。
函谷関の逸話
中国 斉の国で名声の高かった田文( 孟嘗君 )は宰相( 総理大臣に相当 )になってくれと請われて秦( しん )国を訪れますが、 田文が斉の国の人間であることから、 秦のためにならないと秦の王に告げ口した者がいたため、 命を狙われることに。
秦から脱出を試みる田文は夜のうちに国境の函谷関という関所に到着。
しかし門は夜のうちは開かず、 朝に鶏の鳴き声と共に開門する決まり。
すると田文の食客に物真似を得意とする者がおり、 鶏の鳴き真似をしていると、 本物の鶏も鳴くようになりました。 朝と勘違いした門番は、 門を開けてしまい、 田文は危うく難を逃れることが出来ました。
鉾頭

遠くから見ると三日月の甲のようですが、 山の上に三日月が昇っている様子は山中の闇をあらわしています。
鉾頭 1.5M位下の真木に取付けられた「 天王座 」には孟嘗君が祀られ、 その下に雌雄の鶏がそえられています。
函谷鉾の懸装品

屋根裏の金地彩色鶏鴉図( きんじさいしきけいあず )は今尾景年( いまおけいねん1845~1924 )の筆。
重要文化財である旧前懸( 平成十八年復元新調 )は、旧約聖書創世紀の場面を描いた十六世紀末の毛綴( けつづれ )で、 宵山の期間中は町家で展示。
水引は山鹿清華( やまがせいか )作の手織群鶏図( ておりぐんけいず )
胴懸はモンゴルを含む中国近辺で製織された十六世紀の玉取獅子図( たまとりじしず )や
虎に梅樹図の絨毯や十七世紀の中東連花葉文様( ちゅうとうれんかようもよう )インド絨毯を用いていましたが、 現在は復元新調品を使用。

見送には古く弘法大師の筆と伝えられる紺地金泥( こんじきんでい )の金剛界礼懺文( こんごうかいらいさんもん )と、天保年間にこれを模織(もしょく)した立派なものとがありますが、 最近、 皆川泰蔵( みながわたいぞう )作の「 エジプト天空図 」を新調。
函谷鉾は天明の大火( 1788 )で焼失。 50年後の天保十年( 1839 )に再興。
それ以後「 嘉多丸( かたまる )」という稚児人形を用いています。
まとめ

四条烏丸交差点から西へすぐなので地下鉄四条駅、 阪急烏丸駅からもアクセスしやすい場所に建ちます。 一度は目にする鉾ですね。
また、函谷鉾ホームページ はオススメです。 鉾の構造や懸装品の説明など詳しく書かれています。
京都府 京都市 下京区 四条通 烏丸西入ル 函谷鉾町
コメントを残す