「 祇園祭 長刀鉾 」は京都市地下鉄烏丸線「四条駅」、阪急京都線「烏丸駅」20番出入口からすぐ、四条通烏丸東入ル北側に建てられます。
長刀鉾について
祇園祭の山鉾の中で最も人気がある鉾。
京都では多くの家の玄関に厄除けのちまきが飾られているけど、おそらく長刀鉾の粽 ( ちまき ) が一番多いでしょう。
長刀鉾は昔からから「くじとらず」で、前祭 ( さきまつり ) の先頭を巡航するのも特別。
生身の稚児が乗るのは現在は長刀鉾だけ。
写真のように強力 ( ごうりき ) という男性に担がれて移動します。
長刀鉾の巡行
長刀鉾の由来
鉾先の大長刀が長刀鉾の名前の由来。
長刀は疫病や雅悪をはらうものと考えられています。
もとは三条小鍛冶宗近 ( こかじむねちか ) が造った長刀を娘の病気平癒のために奉納したもの。現在は大永ニ年 ( 1522 ) 三条長吉 ( ながよし ) 作の長刀を保存し、複製品を鉾の先端に取り付けています。
長刀鉾の御神体
長刀鉾の ※1真木 ( しんぎ ) 先端の長刀から 1.5M位下にある「天王座」に守護神である※2和泉小次郎親衡 ( いずみこじろうちかひら ) の人形を祀っています。
※1 鉾の中心に取り付ける木
※2 和泉小次郎親衡は平安末期に活躍した源氏の武将。勇猛果敢で強力無双だったといわれている。
長刀鉾を起こす前の「天王座」。
ご神体の和泉小次郎親衡 ( いずみこじろうちかひら ) の人形は, 長刀鉾を起こし始めるまでカバーが掛けられています。
長刀鉾の伝説
長刀鉾の守護神である和泉小次郎親衡 ( いずみこじろうちかひら ) は、三条小鍛冶宗近の奉納した長刀を自身の武器としてほしいと切望し譲り受けました。
しかし、長刀を所持するようになってから身の回りに不思議なことが数々おこるように。
親衡は、長刀鉾に奉納された長刀を持つことの非を悟り、長刀を返納したそうです。
祇園祭 長刀鉾 懸装品
屋根裏の金地著彩百鳥図 ( きんじちゃくさいひゃくちょうず ) は, 松村景文 ( 1779 ~ 1843 ) の筆。
金色で, めっちゃ煌びやか ! !
※破風蟇股 ( はふかえるまた ) の厭舞 ( えんぶ ) と小鍛冶宗近が剣を造る姿の彫刻は, 片岡友輔 ( ゆうほ ) の作。
※社寺建築などで, 桁との間に置かれる山形の部材。 本来は上部構造の重みを支えるもので, のちには単に装飾として用いられた。
「祇園祭 長刀鉾」の胴懸には、モンゴルを含む中国近辺で製織された玉取獅子図 ( たまとりじしず ) 絨毯、十華図 ( じゅっかず ) 絨毯梅樹図 ( ばいじゅず ) 絨毯など。
十六世記の希少な絨毯が用いられていましたが現在はその復元新調品を飾っています。
見送 ( みおくり ) は雲龍波濤文様綴織 ( うんりゅうはとう ) 、下水引の五彩雲麒麟図刺繍の図も復元新調品を使用。
前懸はペルシャ花文様絨毯 ( かもんようじゅうたん ) 。
旧懸装品として、梅枝に鵲 ( かささぎ ) の図朝鮮毛綴 ( けつづれ ) やペルシャ絹絨毯 ( 17世紀 ) も大切に保存されています。
祇園祭 長刀鉾 鉾建て
祇園祭の山鉾巡行のだいたい1週間前に鉾建てが始まります。
山鉾の組み立ては釘などを一切使わず、縄だけを使用。
この時は四条通烏丸東入ルの長刀鉾の鉾建てに運良く遭遇。
上の画像のように、まずは建っている時から90度倒した状態で組み立てられます。
ビルなどの建設のように、上方へ順に組み立てていくわけではありません。
長刀鉾を起こす前。長刀にはカバーが掛けられています。
長い「でっぱり」に引っかけた綱を引っ張りながら、てこの原理を利用しジャッキで綱を引いて長刀鉾を起こしていきます。
これから、だんだん肉付けをして、7月14日の宵々々宮までに仕上げていきます。
祇園祭 長刀鉾 アクセス
京都市下京区四条烏丸東入ル長刀鉾町 上ル下ル西入東入について
地下鉄「四条駅」、阪急「烏丸駅」20番出入口からすぐ。
四条通烏丸東入ルに建ちます。
祇園祭 長刀鉾 まとめ
巡航の順番も「くじ取らず」でトップ。
生身の稚児が乗る唯一の鉾でもあります。
現在のように、前祭 ( さきまつり ) と後祭 ( あとまつり ) に別れて巡航が行われる2014年以前に、曳き手ボランティアで参加した一番最後に巡航する南観音山が出発する頃には、すでに長刀鉾は巡航が終盤。
めっちゃ、羨ましかった (笑)
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