祇園祭 菊水鉾
「 祇園祭 菊水鉾 」
室町通四条上ルに建てられます。
祇園祭 菊水鉾の由来

室町時代末期、 堺の豪商であり茶人の ※ 武野紹鴎( たけのじょうおう )の大黒庵の中にあった井戸 菊水井( きくすいい )にちなんで名づけられました。
※ 茶の湯の弟子には、 第13代将軍 足利義輝や千利休などがいた。
菊水鉾の鉾頭
金色透かし彫十六弁菊花を付け、 真木の中 ほどの「 天王座 」には彭祖( ほうそ:中国古代の伝説上の長寿者 )像を祀っています。
昭和の復活

元治元年( 1864 )の兵火で鉾は焼失してしまいましたが昭和ニ十七年、 88年ぶりに再興、同ニ十八年六月に完工祭を行いました。
稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという菊慈童( じどう )で能装束の舞姿。
他の鉾との違い

屋根は唐破風造りで、 彫師 海老名峰彰( えびなほうしょう )の鳳凰の縣魚( げぎょ )を飾り、 軒下に翠簾( すいれん )を掲げるところは特に他の鉾と異なるところ。

上の写真は、「放下鉾」の屋根。菊水鉾の唐破風造りのように丸みを帯びていません。
菊水鉾の懸装品

昭和ニ十九年、 皆川月華( みながわげっか )作の唐獅子図の胴懸( どうかけ )と飛鶴図( ひかくず )の前懸。

同三十三年には山鹿精華( やまがせいか )作の一番水引、 同三十五年には皆川泰蔵( たいぞう )作の二番水引が加わり、 同三十六年には月華作孔雀図の豪華な見送りが完成しました。

同三十九年には三輪晁勢( みわちょうせい ) 筆の天井絵、 そして小林尚珉( しょうみん )作の錺金具が制作されました。

引き続いて、 晁勢筆の天水引、 月華作の下水引、 岩澤重夫( しげお )筆の深山菊水図綴織( つづれおり )見送り等も新調され、 菊水鉾は「 昭和の鉾 」として、 その偉容を整え進化を続けています。
まとめ
緑色が好きなので、 岩澤重夫( しげお )筆の深山菊水図綴織の見送りが大好きです。
めちゃめちゃ美しいです。 まさに動く美術館 ! !

ちなみに 、
長刀鉾や月鉾は、 片側2車線ある四条通に鉾が建てられるため、 通常は歩道側( 片側 )からしか見ることができません。
もう1車線は車が通っているため、 反対側の歩道からしか見られません。 宵山のときに歩行者天国になると見られますが、 人が多くゆっくり見られません。
その点、 菊水鉾の建つ室町通は1車線。 鉾建てが始まると、 昼夜車が通行止め。360度全方向から鉾を眺められます。午前中は、綺麗で美しい胴懸や水引などを真近でゆったり体感できます。
菊水鉾
京都府 京都市 中京区 室町通 四条上ル
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