祇園祭 後祭 南観音山 睨みを利かす海の龍。

祇園祭 後祭 南観音山 / 京都 ブログ ガイド

祇園祭 後祭 南観音山

 

「 祇園祭 後祭 南観音山 」は、 新町通錦小路上ルに建てられます。




 

曳山

一見、 鉾のようでも、「 岩戸山 」と同じように「 曳山(ひきやま) 」に分類。

鉾は地上付近から一本の真木という柱が設置されていますが、 曳山にはなし。真木の代わりに、 屋根の上に真松が取り付けられています。 松の木が生えているので、「 山 」ということです。

南観音山の松の木には、 小さくて見えにくいですが、 下からに2段目の枝に鳩がとまっています。

2018 祇園祭 後祭 南観音山 / 京都 ブログ ガイド

「 下り観音山 」ともいわれ、 江戸時代は北観音山と隔年交代で巡航。 明治以降は毎年巡行に参加しています。

大船鉾が巡行に仮復帰した2012年 ・ 2013年は、 全体の29番目に巡行、 後祭が復活した2014年から後祭の6番目に巡行しています。

 南観音山のご本尊

本尊の楊柳観音像は、 悠然と瞑想する鎌倉時代の座像。

天明の大火( 1788 )で頭胸部を残して焼失しましたが、 その後、 修復されました。 楊柳観音像の横に善財童子を配しています。

善財童子

善財童子が南へ南へ53人の聖者を順に訪ねて、 それぞれの教えを乞うという華厳経の菩薩道修業の説話は、 東海道五十三次や「 指南 」の語源と知られています。

二十八番目の観音は美しい南海のほとりに住み、 一切の苦悩から衆生救済を教えたといいます。

華厳経

『 華厳経入法界品 』に於いて、 インドの長者の子に生まれたが、 ある日、 仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、 様々な指導者( 善知識 )53人を訪ね歩いて段階的に仏教の修行を積み、 最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、 菩薩行の理想者として描かれている。  善知識の中には比丘や比丘尼のほか外道( 仏教徒以外の者 )、 遊女と思われる女性、 童男、 童女も含まれている。

Wikipedia

 南観音山の懸装品

祇園祭 後祭 南観音山 / 京都 ブログ ガイド

天水引は塩川文麟下絵の「 四神の図 」で、 近年復元新調。

下水引は、 加山又造の原画による飛天奏楽。

祇園祭 後祭 南観音山 / 京都 ブログ ガイド

見送は中国明代の綴錦でしたが、 昭和六十三年に加山又造の「 龍王渡海図 」を新調し使用。 ちなみに龍の目には人工ルビーが使われています。

他に異无須織( いむすおり )といわれる17世紀製作の華麗なペルシャ絹絨毯の旧前懸や、 日本最古( 1684 )のインド更紗の旧打敷などを保存しています。

 厄除けの柳

南観音山の柳 / 京都 ブログ ガイド

巡行には柳の大枝を差し、 山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉をつけ、 諸病を防ぐといわれています。

巡航終了後に、 この柳の小枝を持って帰り、 南観音山の粽と共に玄関に飾っておくと、 厄除けになるといわれています。

南観音山の柳 / 京都 ブログ ガイド

柳の枝の取り合いの後(笑)

 あばれ観音

南観音山だけに存在する行事、「 あばれ観音 」は、 後祭山鉾巡行の前日7月23日の深夜に、 布で巻いた御神体の楊柳観音を神輿にくくりつけ、 町内を廻ります。

まとめ

曳き手のボランティアとしても参加したので、 個人的にも好きな山。

参加したのは前祭と後祭に分かれる前だったので、 巡行は一番最後で待ち時間が長かったです。

海の青さの中で睨みを利かす見送りの「 龍王渡海図 」の龍がとても印象的で大好きです。

巡行終了後、 厄除けのために、 柳争奪戦に参加するのも良 (笑)




 

南観音山

京都府 京都市 中京区 新町通 錦小路上ル

上ル下ル西入東入について




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