祇園祭の起源
「 祇園祭の起源 」
京都でお祭といえば, 真っ先に思い浮かべるのが, 「 祇園祭 」。 7月1日~7月31日の1か月間にわたって繰り広げられる長いお祭です。
祇園祭は今から, 1150年以上も前に始まったと考えられています。 その起源は諸説あります。
祇園祭の起源 神泉苑での御霊会
貞観11年 ( 869 ) , 全国で疫病が流行した時, 京都市中京区にある神泉苑で ※御霊会を行いました。
当時日本国内の国の数である66本の鉾を建てて, 祇園社 ( 今の八坂神社 ) の牛頭天王 ( 悪疫を防ぐ神様 ) を祀りました。
一般にこの御霊会が 「 祇園祭 」 の起源といわれています。
※ 疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭。
祇園祭の起源 もう一つの起源説
京都市中京区の四条通坊城の南西角にあるのが, 「 元祇園梛神社 ( もとぎおんなぎじんじゃ ) 」。
創建は平安時代の貞観11年 ( 869 ) 。 祇園祭の起源と同じです。
前の段落で書いた通り, 京都に疫病が広がりたくさんの犠牲者が出たことで, 疫病の神である牛頭天王を祀り, 疫病を鎮めいてもらおうとして始まったのが, 祇園祭の起原といわれています。
でも, 元祇園梛神社に伝わる祇園祭の起源は違います。
この神社に祀られていた牛頭天王を祇園社 ( 今の八坂神社 ) へ分霊するときに, お囃子などで賑やかに送ったことが, “祇園祭の起源” としています。
このときの行列が祇園祭の山鉾に姿を変えていったということです。
どっちの説が, 本当なのか?
元祇園梛神社 アクセス
・市バス 「 壬生寺道 」 バス停 ( 青マーク ) 下車すぐ
・阪急 「 大宮駅 」 4番出口 ( 緑マーク ) から徒歩約3分
・嵐電 「 四条大宮駅 ( 紫マーク ) 」 から徒歩約5分
所在地 | 京都府 京都市 中京区 壬生梛ノ宮町18−2 |
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電話 | 0 7 5 - 8 4 1 - 4 0 6 9 |
ところで, なんで八坂神社のお祭が, “祇園祭” ?
祇園祭は八坂神社のお祭だけど, それなら 「 八坂祭 」 では ?
素朴な疑問ですよね。
実は, 明治以前には, 神様と仏様が一緒に祀られていたため, 慶応4年 ( 1868 ) に,『 八坂神社 』と改称されるまでは, 「 祇園社 」 または 「 感神院 」と呼ばれていました。
正式には, 祇園感神院 ( ぎおんかんしんいん ) といって比叡山延暦寺の末寺。
八坂神社は江戸時代まで, 神社でもあり, お寺でもあったんです。
MEMO
明治時代に 「 廃仏毀釈 ( はいぶつきしゃく ) 」 という仏教を排除しようとする政策や運動が実行されました。 江戸時代の末までは神仏習合 ( しんぶつしゅうごう ) といい, 日本独自の神をうやまう神道と仏教がいっしょになっていましたが, 神道を国の宗教にするために, 慶応4年1868年に神仏分離令 ( しんぶつぶんりれい ) が出され, 神道と仏教がわけられました。 八坂神社も江戸時代までは, 「 祇園社 」 または 「 感神院 」 と呼ばれ, 神社でもありお寺でもありました。 ( Wikipedia )
“祇園” の由来
かつてお寺でもあった祇園社に祀られていたのは, 仏教の神様である牛頭 ( ごず ) 天王。
仏教を開いた御釈迦様がインドで説法を行った場所 「 祇園精舎 」の守護神です。
「 祇園 」 の由来は, この “祇園精舎” から来ています。
祇園社のお祭
「 祇園精舎 」 の守護神を祀っているから, 明治以前の八坂神社は, 「 祇園社 」 と呼ばれていました。
八坂神社と名前が変わった後でも, 元々は祇園社のお祭りなので, 「 祇園祭 」という呼び方はそのままになりました。
なぜ, “八坂” という名前になった ?
ちなみに, なぜ “八坂” 神社と改称されたのかというと, 今の八坂神社のある一帯が元々山城国 ( 現在の京都府中南部 ) 愛宕 ( おたぎ ) 郡の八坂郷に属していたからなんだそう。
ただ, 今でも地元の京都人は “祇園さん” と呼んでいる人もいるし, 「 祇園神社 」の方が良かったような気がするけどなー。
所在地 | 京都府 東山区 祇園町 北側 625番地 |
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電話 | 0 7 5 - 5 6 1 - 6 1 5 5 八坂神社 ホームページ |
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